一般社員から急きょ社長に。思い共有しバトン託す〔企業内承継〕

公開:2019年4月11日

M&A事例

事業承継のカタチvol.5 アイテレコムサービス株式会社

事業承継は会社にとって重要な課題だが、日々の経営に追われ先送りにされがちだ。準備には5~10年がかかるとされ、長期的な視点で取り組む必要がある。親族内、第三者などさまざまな事業承継の事例を連載で紹介する。

返済苦で社長が失踪 一般社員が急きょ社長に

アイテレコムサービスは、東証1部上場で情報通信機器の製造・販売の岩崎通信機(東京)が出資した地域販社「岩通広島販売」として1987 年に創業した。現在、会長を務める庄司美登里さんは、急転直下の出来事で急きょ一般社員から社長に就き、会社運営と借入金の返済に奔走することになる。

前身の岩通広島販売は、親会社から資本関係の解消を告げられたのを機に独立採算に移行。92年に現社名に変更し、新体制で再スタートを切った。それから間もなく、金融機関から不動産投資の話が舞い込んだ。当時の社長は、運営資金を含め借入金2億円で購入を決め、94年に西区己斐本町に本社を移転。この投資が会社の潮目を大きく変えた。

思惑通りに進まず、不動産価値は年々下落の一途。「身の丈を超えていた」という投資で借入金の返済に苦しんだ。心身共に限界を迎えた社長は、「病院に行ってくる」と会社を出たきり、消息を絶ってしまう。移転からわずか1年後のことだった。

突然の社長の失踪に会社は混乱し、存廃の岐路に立たされた。庄司会長は、
「私は、当社と資本・血縁などの関係はなく、新聞で求人広告を見つけて入社しただけ。もともとはパート社員でした。社長が失踪した当時は48歳で長引く不況下では再就職の見通しが立たず、同様の不安をほかの社員も抱えていました。そこで年齢、社歴で最年長の私が継ごう、と決心。最後の決め手となったのは、長年私たちを信頼し取引を続けてくださるお客さまへの『恩』でした」

それまで社員から「しょうちゃん」の愛称で親しまれたが、翌日の朝礼で「私を社長と呼べない人は、明日から出社しなくていい」と、たんかを切った。前に進むしかなかった。

誰もが継げるわけではない 後継者と思いを共有

試行錯誤しながら経営する中で、2000 年に介護保険制度が始まったことで介護分野の営業を強化。「介護福祉の設備お役立ち業」として、介護事業に関する周辺の通信機器整備やコスト削減策の提案など、独自の営業体制を構築。現在も収益の5割以上を占める事業の柱になった。

庄司会長は事業を育てながら、自身の苦い経験を踏まえ、次の事業承継に向けて早い段階から準備を進めた。
「江戸時代の徳川家が長男の世襲制で長年栄えたように、年功序列に基づき後継者を選ぼうと考えていました。しかしある日、候補者だった社員が辞表を提出。その時の顔のあまりの晴れやかさに、自分が力以上のものを求めすぎていたことに気付かされました。会社を背負うことは誰もができることではなく、相応の『器』が必要だったと痛感しました」

そこで重視したのが信頼に基づく人間性だった。白羽の矢を立てたのが当時営業部長の増西伸治さん。増西さんは、庄司会長が社長に就いた翌年に入社。堅実な働きぶりで長年、会社を支えた。
「できることとできないことを見極め、確実に仕事をこなしてくれていました。安心して仕事を任せられる人物で、私が大風呂敷を広げようとした時にいさめてくれたことも少なくありません。そうした人間性を他の社員も理解し認めていました」

06年に増西さんを取締役に迎えた。それまで営業と技術など縦割りだった部署の垣根を取り払い、全員で営業する仕組みなど社内体制を整備。堅実経営を進めたが、それでも先代から引き継いだ負債は残ったまま。並行して進めた承継準備の中、ある経営コンサルタントからは「自己破産をした方がいい。本当に引き継ぐのか?」と、増西さんの前で苦言を呈されたことも。
「借りたお金は何年たってでも返す。これは親の遺言だ、と決意し、返済や金融機関との交渉を長く続けてきた。だから、あの言葉だけは悔しくてどうしても忘れられない。それでも増西は『継ぐ』と言ってくれました。涙が出るほどうれしかったです」

約10年の移行期間を経て、15年8月に社長職を引き継いだ。増西社長は、
「返済しようという思いは同じです。借り入れをしていた銀行と長年の交渉を経て15年11月に返済のめどを立てることができました。会長と粘り強く経営に取り組んできた結果です。これからも確実に経営を推進していく。何より、長年お世話になった多くの人たちへの恩に報いていきたい」

かつての庄司会長の言葉と重なる。
「増西社長がつらそうな時には、『大丈夫よ。私みたいなおばちゃんでもできたんじゃけえ』と冗談半分で声を掛けます。どんな苦境でも、決して諦めてはいけない」

引き継ぎは時間をかけて 承継手続きはシンプルに

社内承継でネックになりがちな株式移行も、スムーズに進めることができた。増西社長は、
「庄司会長の長男や次男といった血縁によるしがらみがなかったほか、土地や自社ビルは会社名義にしているのが良かった。もし個人名義だったら、税金の関係などでいろいろと大変だったようです。会長から10年という長い時間をかけて準備してもらったおかげで、円滑に経営を引き継ぐことができました」

(情報提供:広島県)