事業承継のカタチvol.3 天満冷凍機株式会社
事業承継は会社にとって重要な課題だが、日々の経営に追われ先送りにされがちだ。準備には5~10年がかかるとされ、長期的な視点で取り組む必要がある。親族内、第三者などさまざまな事業承継の事例を連載で紹介する。
鬼門の58歳で父が急逝 社長就任は五里霧中
生鮮食品は流通や加工のプロセスを経て店頭に並ぶまで、常に冷却されることで商品の劣化や食中毒菌の繁殖が抑えられている。天満冷凍機は半世紀以上にわたり、業務用冷凍冷蔵庫の設計、施工、修理、販売を一貫して手掛け、温度管理の視点から身近な食生活を支えている。天満栄至社長は、
「祖父から続く事業。しかし、現在に至る道のりは単純なものではありませんでした。私はむしろ事業承継の失敗例かもしれません」
と前置きし、これまでを振り返る。会社の起源は1929 年。天満製氷所として事業を始めたが、原爆で社屋を焼失。48年に祖父の天満喜三さんが天満冷凍機工作所を創業した。その後、喜三さんは58歳で他界し、天満社長の父である隆司さんが後を継いだ。
「社内では58歳は鬼門と言われていました。父もその歳に近づいてきて事業承継を意識し始めましたが、自分の死は想定できず、あくまで自分が『現役』の前提で、長男の私を戦力化しようとしました」
天満社長は大学卒業後、取引先メーカーでの勤務を経て、入社。現場見習いからスタートしたが、徒弟制的な雰囲気になじめず、退職。 「結局、父のもくろみは外れ、事業承継の準備はできずじまいでした。そして父が58歳のとき、ゴルフプレー中にめまいがして病院を受診し、そのまま入院、3日後に他界しました」
他に候補者がいなかったため、準備のないまま天満社長が1998 年に承継することに。苦しい道のりの始まりだった。
労務や決算適正化に苦闘 正直に話し、立て直しへ
就任後、決算書に載っている売上原価の内訳を見て驚いた。粗利には見積利益がそのまま入っており、売上高から粗利を引いて売上原価を算出し、売上原価から材料費・外注費・経費を引いて労務費を算出していた。通常とは真逆の計算方法で算出されており、実際の数字を入れると大幅な赤字となった。赤字の原因が労務費にあるのは明らかで、問題の一端は社員の労務管理に現れていた。タイムカードを見ると社員の欠勤が異常に多かった。例えば、深夜残業をすると、昼間は欠勤し、夜間に出勤して深夜残業手当を取得。欠勤しても給与に影響はないので帳簿上は24時間に近い勤務になっており、新入社員でも年収700 万円を超えていた。
まずは欠勤者に始末書を書かせ、やむを得ない場合を除いて時間外の出勤には代休を当てた。また、積算原価に実際の労務費を反映させ、赤字工事の受注を減らしたが、売上高はこれまでの3分の1に激減。最終的には人員整理せざるを得ない事態に立ち至った。さらに多額の不良債権を損失計上し、負債比率はかなりの割合に上った。結果、取引先からの取引停止や、金融機関からの「貸しはがし・貸し渋り」があり、対応に苦慮した。
「金融機関などから説明を求められることが多かったが、全て正直に話しました。ごまかしては後々、自分の首を絞めることに。状況は厳しくなったが、精神的にはむしろ楽になりました」
ただ、債務超過となっているわけではなく、業務を誠実に遂行すれば活路は見いだせると信じ続けた。そのうち、ある金融機関から既存債務を全額肩代わりしてもらうとともに、新たな投資のための融資を受け、ひとまずは財政的な問題を回避できた。
結果的に〝少数精鋭〟へ 着実に信頼と技術力を向上
会社の将来に対する不安や人員整理への反発もあり、有能な社員から順に会社を去り、承継時に50人以上いた社員は半数にまで減った。それでも残ってくれた社員はいたが、就職氷河期のなかで転職する勇気と能力のない人材も多く、売り上げ減以上にマンパワー不足が深刻化した。いろいろな問題点を社員に正直に話しながら、一つずつ改善していくほかに手段はなかったという。
「当初は有能な社員に絞り込んで利益を挙げようとしましたが、離反を招いてしまった。熟練していない少人数の社員で対応するしかなく、多忙を極めましたが、残業をしながら懸命に働いてくれました。我慢の日々が5年、10年と続くうちに技術力は確実に向上。まさに『少数精鋭』そのもの。安易に利益を求めて少数精鋭部隊をつくるのではなく、少人数で協力し合う日々を経て、少人数ゆえに精鋭になっていくのだと実感しています」
その後、黒字体質に転換し、現在では売上高に対する税引前利益率は1割を超える。 「社訓は『信・和・根』。どんな苦境でも粘り強く継続する『根』がある。そこから『和』が生まれ、蓄積が『信』となる。初代社長が残した言葉の通りでした」
安易に人に頼らず 自助努力を続けること
先代の死により、いや応なく承継してから長い時間をかけてさまざまなことを身を持って経験。そのなかで忍耐を強いられることも多々あった。
「取引先が大手企業だからといって、それだけで信用できると思ってはいけません。たとえ相手に窮状を訴えても、受け取る側の不安をあおるだけになることも。だからこそ、一時的な安心を求めず、自助努力を続けることが重要。その中で、一緒に仕事ができればそれでいい」
現在、社員の資格取得など、人を育てる投資を積極化。社員全員による地道な努力は今も続いている。プライベートで天満社長は健康のためにマラソンを始め、フルマラソンの自己ベストは2時間53分40秒だ。
「人生はマラソンと同じ。苦しい時間を耐えたからこそ、ゴールの喜びがある」
まさに根、継続は力なり。